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江戸時代を考えるだけで…

希望のひかり

人と物の流れが活発になる中で、城下町・港町・宿場町・門前町・鳥居前町・鉱山町など、さまざまな性格の都市が各地に生まれた。その意味で江戸時代の日本は「都市の時代」であったという評価がある。元禄時代の経済の急成長により、貨幣経済が農村にも浸透し、四木(桑・漆・茶・楮)・三草(紅花・藍・麻または木綿)など商品作物の栽培が進み、漁業では上方漁法が全国に広まり、瀬戸内海の沿岸では入浜式塩田が拓かれて塩の量産体制が整い各地に流通した。手工業では綿織物が発達し、伝統的な絹織物では高級品の西陣織が作られ、また、灘五郷や伊丹の酒造業、有田や瀬戸の窯業も発展した。 18世紀の初めころの京都と大坂はともに40万近い人口をかかえていた。同期の江戸は、人口100万人前後に達しており、日本最大の消費都市であるばかりでなく、世界最大の都市でもあった。

まだ岐路

貨幣経済の進展にともない、諸物価の基準であった米価は下落を続け(米価安の諸色高)、それを俸禄の単位としていた旗本・御家人の困窮が顕著なものとなったからである。8代将軍となった徳川吉宗は、紀州徳川家の出身であり、それまで幕政を主導してきた譜代大名に対して遠慮することなく、大胆に政治改革をおこなった(享保の改革)。吉宗が最も心をくだいたのは米価の安定であった。そのため彼は倹約令で消費を抑える一方、新田開発による米の増産、定免法採用による収入の安定、上米令、堂島米会所の公認などをおこなった。「米将軍」と称されたゆえんである。それ以外にも、財政支出を抑えながら有為な人材を登用する足高制、漢訳洋書禁輸の緩和や甘藷栽培の奨励、目安箱の設置その他の改革をおこなった。
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